芸術家はいつもハングリー
尾崎 僕の中には教授に対する憧れがあるんです。この間もロンドンでのコンサートの様子をTVで観ていて、僕の場合は言葉があるから、
スラングも含めてきちんとした英語が話せないと向こうへ進出するのは難しいんだろうな、と思っていたんです。
N・Yに住んでいた頃、どのタワーレコードに行ってもYMOのレコードがあるというのも、象徴的でしたし。
坂本 アメリカに限らず、日本以外のところでやりたいっていう欲望は自然に出てきたの?
日本でもある程度成功したから、次はアメリカっていう感じ?
尾崎 僕の音楽理念みたいなものの中に、人の気持ちを浄化させたい、というのがあるんです。
だから、たとえ日本語なまりの英語で歌ったとしても、本当に自分の気持ちが伝われば、
彼らの持っている傷を癒やしてあげられるんじゃないか、という可能性を、いまだに夢として抱いているんです。
坂本 日本の聴衆にはもう、そういうことしてると思う?
尾崎 聴いてくれてる半分くらいの人には。あと半分の人は聞き流す、という感じなのかもしれないですけど。
坂本 尾崎君には、自分が聴いて浄化されるような音楽っていうのはあるの?
尾崎 あります、ジャクソン・ブラウンとかビリー・ジョエルとかブルース・スプリングティーンの音楽とか。
ちょうど日本でニュー・ミュージックと言われる音楽が出てきた頃に、もう一歩人生に触れている音楽が欲しい、と思ったのが、
きっかけになってるんです。というのは、うちの親父が歌人だったもので、小さいときから歌人の生い立ちや人生みたいなものを
聞かされていたんですよ。で、ある種、芸術というものを極めていけばいくほど、打ちひしがれているところから出てくるパワーによって、
もしくは本当に人を愛するがゆえに我を見失わないとは限らない、という場合の精神状態でも客観的に自分を見つめることによって、
知性と欲望を自分の中でコントロールできたときにひとつの作品になるんじゃないかという気がしてたんです。
ところが、そういう音楽が当時の日本にはないと思ったわけです。それまでは英語も分からないし、毛唐の音楽なんて聴けるか!
と思ってたんですけど(笑)、とりあえず向こうのレコードを一枚聴いて、もしそれが駄目ならアメリカも同じなんだと思おう、
と思ってジャクソン・ブラウンの『RUNNING
ON EMPTY』というのを買ったらこれが・・・・・。
坂本 それは偶然?
尾崎 そうなんです、たまたま。それを聴いて、自分がある種の救われた気持ちになって。僕が周りとこういうことを話したい、
と思いながら話せないことをこの人は歌ってるな、ということを感じて、僕もそういう音楽がやりたいと思ったんですね。
坂本 劇的だね、始まりが。
尾崎 だから、今はこれだけたくさん情報が溢れていて、たくさんのレコードがあるけど、その中で何かみんなが足りないと思っているものを、
自分で探そうとしてるところがありますね。それは自分でも足りないと思うところだろうと思うけれど。
坂本 あのさ、今言ったけどさ、はたしてリスナーが
〜〜リスナーというひと言で個々別々な人を片付けていいかどうかは置いておいたとしても〜〜
本当に渇望しているんだろうかって気もするわけね、僕は。本当は彼らが渇望して、もっといい音楽っていうか、
力のある音楽を本当に求めているんだったらこんなに世の中にくだらない音楽が氾濫していないと思うんだよね。
僕らは渇望してる、僕らはハングリーだよ、だって作ってる側なんだから。
尾崎 まさしく!そのとおりです!
坂本 だからあんまり、リスナーのため、なんて思う必要ないよ。僕だってそりゃあ、渇望している人が多いほうが嬉しいんだけどさ。
尾崎 僕は、リスナーが渇望してると思い込むことによって彼らへの何かにしようって、逆転させてるだけなんですね。
坂本 そう。自分が渇望してるだけなんだよ。僕はいつも、音楽的な状況に不満は持っている。
それは、僕が思うに、僕も君も結構真剣にやってるけども、聴く方が真剣じゃないから、こんな状況なんじゃないかっていう気がしてる。
バカヤローって言いたい感じ、あるわけ(笑)