音楽にルールは必要ない
尾崎 音楽に対しての自分なりの高揚の仕方ってあります?僕にはあるんですけど。
例えば、マイナーなコードに対する思い入れとか、コード展開に対する思い入れみたいなものが、意図的にあるもんなんですか?
坂本 いや。多分同じだと思うんだけど、例えば、「好き」って言ったら何か反応が起こるでしょ、頭のなかにイメージが湧いたり。
そういうのと同じで、バーンって言う(鍵盤を押さえるように手を動かして)響きが聞こえると、
言葉には翻訳されない感情の状態が起こるんですよ。
尾崎 なるどね。坂本さんはずっと芸大まで行かれて、博士号、でしたっけ?とられてるんですよね?
坂本 あー、はずかしい(と顔を伏せて)。
尾崎 和声法の本を読んだとき、必ず何章かの最後に「でもこれは完全とはいえなくて、
これ以外の方法論も考えられます」というようなことが書いてあったんですが、坂本さんの音楽には、
和声法のような理論を無視した形で、バーンと弾く和音のイメ−ジだけでメロディアスにしていく創作の仕方もあったりするんですか?
坂本 (咳払いをして)あのね、全ての学問とか教育ってそうだと思うんだけど、すでに起こっていることを後でまとめるてるだけなのね。
例えば対位法でいうと、バッハという対位法の天才みたいな人がいるじゃない?
本や教科書で習う対位法っていうのは、バッハが勝手に作ったものを後で整理してるだけ。
要するにマニュアルだと思えば良いんです よ。シンセサイザー使ったりするときに、わからなかたったらマニュアルを読むよね。
でも、マニュアルを最初から読んでもそれでシンセサイザーは使えるようにならないじゃない?
実際にシンセサイザーを使っているときには、マニュアルに書いてないことも起こっているんだし。
尾崎 なるほどー(納得して)。
坂本 だから、和声学みたいなものに書かれてる範囲内で、実際の曲なんて作れるわけないんですよ。僕はもちろん、
一種の受験勉強的にそれを勉強はしたけど、自覚して自分が音楽をやっているときにはそういうものをなるべく忘れてやってるわけ。
そういうのが自分のなかでルールになってしまっては、自由になれないから。
でもさ、言葉の場合は言葉から自由になることはできないんだよね。
いくら勝手に自分の発明した言葉をしゃべっても、相手にわからなかったらそれは言葉とはいえないもんね。
尾崎 『BEAUTY』に沖縄音楽みたいなものが入ってましたけど、あれは何かと何かの融合がああいう形になった、
ということのように思われるんですが。
坂本 沖縄に対する興味は、地理的に一番日本に近くて、、一番遠いという点でね。
微細に見ると、日本人だと思っているもののなかに全然日本的じゃないものってたくさんあるはずで、
そういう日本人とか日本という観念を壊したいという欲望がとても強いんだよね、僕の中に。
日本人は単一民族だっていう幻想があって日本人も日本以外の人もそう思っているみたいだけど、
本当はそうじゃないし、音楽でも楽器でも、日本固有のものってないのね。
全部、遠いところはトルコとかさ、あるいは中国とか朝鮮半島から入ってきてるわけ。唯一日本固有の楽器って、大正琴だけなんだよ。
尾崎 ほんとにー?
坂本 ぼくは、もう亡くなってしまったんだけど、大好きだった民族音楽学者の小泉文夫っていう人に、
日本固有の音楽なんかないって言われて、とても嬉しかったんだよね。
本来日本人なんていうものはないはずで、全部ミックスされたものだと思うのね。
尾崎 なるほどね。
坂本 いつしか時間がたって、日本の固有性とか日本の文化を目指して、作り上げてきたんだよ。
だって、戦争の原動力だって、そんなもんでしかないでしょ、当然。
日本民族という固有のものがなかったら、他の民族と戦争する自分たちのアイデンティティなんてないわけでしょ。
尾崎 うーん。