プレスリーに重なる「尾崎豊」
筑紫 この間コンサート行ったら、やや意外と言えば以外なのは、女の子が多いねえ。最初はむしろ男が多かったんじゃないの。
尾崎 最初は男と女の割合というのが、六対四ぐらいで、やっぱり女の子のほうが多かったんです。
でも確かに前よりもっと女の子が多くなったし、男が減っているような気がしますね。
前のコンサートのやり方を今もやっていれば、違っただろうなという気がします。 前のコンサートというのはすごく挑戦的だし、
突き放すコンサートだったんです。みんな一人一人なんだという、そういう疎外感を、もう一度認識しようというコンサートだった。
今のコンサートもそういう面はあるんだけど、どちらかといえば、みんなで楽しい時を過ごそうというのに近い。
コミュニケーションを大事にしているコンサートですね。
筑紫 あそこのホールの中では、みんなすごくあなたのメッセージに共感していると思うんだ。
でもその後の話だけども、そこであれだけ発散したのに、終わった後はお父さん、お母さんが迎えに来て、連れて変える。
尾崎 地方に行けば行くほど、そういうのが多いですね。これはこれ、日常は違うんだという感じかな。
筑紫 尾崎君の歌を聴いていて、年寄りというのは自分の経験に重ね合わせて考えちゃうんだけれども、
プレスリーが「ブルー・スウェード・シューズ」というのを歌った時とすごく状況が似ていると思うんだね。
勝手に大人はやってくれて、俺たちをひっかき回すけれども、この靴だけは踏ませないぞという、そういう主張ですね、あの歌は。
一九五〇年代之前半というのは、アメリカの若者が、徹底的に管理されていた時代だからね。
それがきっかけになって、ジェームス・ディーンが出てくる。今で言う暴走族が出てくる。
歴史は繰り返すかどうかわからないけど、何かが起こる可能性があるんじゃないか。
尾崎 僕のファンがお母さんから、そんな不良の音楽を聴くの辞めなさいって注意されたっていう話を聞いて、
ああ、僕もそういうふうになれたかと思ってうれしかったですけどね。(笑)
筑紫 最初のアルバム(『十七歳の地図』)が出たのは?
尾崎 八十三年です。僕が高校停学中にレコーディングしたんです。
筑紫 高校へは何年まで行ったの。
尾崎 一応三年までだけど、三年はほとんど無期停学で、行っていなかった。