ギターを独習した登校拒否の日々
筑紫 何をやって無期停学になったの。
尾崎 まあ、酒、喧嘩、タバコっていう、そういう三拍子いっぺんに。その前にも二回ほど、停学にならさせていただいているんです(笑)。
それも、本当なら停学になんないことでも、簡単に停学にさせられちゃったというか。
一回目は、僕が先生に言われたことで頭に来て、ムシャクシャした気持ちで図書館のガラスを手で殴って割ったんです。
そしたら、停学になっちゃった。もう一回はたばこを吸っているのを見つかっちゃって。最後は全部一緒に・・・・・・(笑)。
筑紫 「卒業」だっけ、ガラスを割るところが出てくるのは。
尾崎 まあ、あれは、学校をやめると決めたころから、友達と一緒にお酒を飲んだり、
深夜、学校の中に入って校舎の窓を割りまくって逃げたという、そういうことがあったんです。
筑紫 それは実話なの?
尾崎 一応実話。でも、あんまりそれを言うと請求書が来たら困る(笑)。
筑紫 酒とタバコはいつ頃から始めた?
尾崎 タバコは中学一年生からで、酒が中学二年生からです。酒は家では小学六年生ぐらいから飲んでました。
でも、主体的に飲み始めたのが(笑)、中学二年生からだったんです。最初は学校の帰りに友達の家で飲んだんです。
それから病みつきになりまして、毎日家で飲んでいましたね。
だから駅のホームを、すわった目をした、鞄を堤げた中学生がふらふらと・・・・・・(笑)。
筑紫 よく補導されなかったね。
尾崎 よく補導されなかったですね(笑)。
筑紫 音楽で食っていこうと考えたのはいつごろ?
尾崎 中学二年生ごろですね。その頃は歌を歌うということが唯一、僕の救いだったから、これなしには生きていけないと思ったんです。
自己浄化じゃないですけど、歌がなければ、きっと僕は廃人になってしまう。精神的におかしくなってしまうと思ったんです。
最初は場末の酒場でピアノの弾き語りみたいなものがやれたらいいなと思っていたんです。
筑紫 そういうふうに、音楽にのめりこんでいったというは、何かきっかけがあるの。
尾崎 僕、小学校六年の時に、登校拒否しちゃったんです。元は練馬に住んでいたんですけど、五年生で朝霞に引っ越して、
友達が出来なくて、学校に行くのがいやで、半年間ぐらいずっと行かなかった。その前に、小学四年生の時に、
井上陽水の『氷の世界』というLPを聞いて、自分自身でイマジネーションする事が出来たというか、歌っていうのは、
こんなふうに考えさせてくれるようなものがあるんだなと教えられた。で、小学校六年生の時に登校拒否をやって、
やることがなかったんですね、たまたま兄貴が五年くらい前に買ったギターが押し入れにあった。
そこでまあ、陽水みたいにはなれなくても、
とりあえず下手でもいいから「蝶々」が弾けたらおもしろいだろうなと思って弾きはじめたんです。
筑紫 登校拒否の真っ最中、ずっとギターやってたの。
尾崎 ええ、登校拒否のお陰で(笑)、ギターを弾いて歌えるようになったんです。近所の人たちは、みんな、おかしいと思ってたみたいです。
あそこの子は小学校にも行かないでギターばっかり弾いてるって。中学に入っても登校拒否というか、
自閉症気味というか、上手くコミュニケーション出来ない人間だったんですけど、歌を歌うときだけ、
みんなが尾崎は最高だと言ってくれたんです。そう言われはじめてから、だんだん、やっぱり自分自身が救われたいから、
いろんな曲をコピ−したし、ギターも一生懸命弾くという感じ。それが音楽と自分との出会いだったわけです。
筑紫 中学でも登校拒否をやったわけですか。
尾崎 いや、中学の時は、一ヶ月にニ、三度、ずる休みするぐらいだった。
筑紫 登校拒否というのは、したくなったきっかけというのが、具体的にあるわけ?
尾崎 僕が東京から来た転校生だったということで、すごく女の子にちやほやされたんです。
それでまあ、そんな転校生なんて嫌いだいう男が増え始めて。
筑紫 そうだろうね。(笑)
尾崎 それで、僕がみんなからいじめられるようになったんです。それで、だんだん暗くなっていくと、
今までキャーキャー言ってた女の子も離れはじめる。芸能界みたいな感じじゃないですかね(笑)。
筑紫 女の子はあてにならないということは、よく知っているわけだな、そのころから。
尾崎 それは、もう。女にはさんざんな目にあった(笑)。